Aさん92歳が入院して1ヶ月。
24時間の点滴。
もう食事も口からは召し上がっていませんでした。
「これ以上の回復は難しい」との先生の診断に
私は「ホームへつれて帰りたい」
そう思いました。
Aさんにはご家族がいません。
私達の事を家族のように思い、ここ水車の里で生活されていました。
「ホームに帰りたい」
その気持ちはAさんも職員さんも同じでした。
1月30日
退院。
孫のように可愛がってくださったホーム長娘と一緒に夕食。
手を伸ばし娘の頬へ触れようとするも身体疲労強く、すぐに目を閉じてしまわれます。
2月1日
仲の良かったOさんを居室へ招きノンアルコールビールで退院のお祝い。
Oさんへビールを注ぐ場面もあり、表情も大変優しく穏やかでした。
2月3日
倦怠感が強いも、さまざまな訴えの発語が多く聞かれました。
「カレーライスが食べたい」との言葉に夕食をカレーライスに変更。
自らスプーンを持ち5口召し上がりました。
2月4日
Aさんより希望があり二人介助にて入浴を始めましたが
倦怠感が強く、シャワー浴にて終了としました。
言葉が不鮮明で聞き取りにくくなってきました。
ジェスチャーを交えながら希望を伺うと、壁に貼られたみんなで撮った写真を
シルバーカーに片付けて欲しいとの事でした。
少しづつ私物の整理を依頼されるようになりました。
「何も心配いらないよ。私が代わりに何でもするよ」
そう声をかけると手を合わせ「ありがとう」と頷かれました。
また今日は様子を見に来てくれた訪看さんに
「さようなら」と、お別れをされていました。
2月8日
食事への拒否が強くなってきました。
私達職員側の自己満足にならないよう、Aさんの希望を尊重した対応を心がけました。
帰宅前に訪室すると、とても穏やかな表情で私を迎えてくださいました。
私の手を取っては強く握ったり、頬へ当てていました。
二人の手を合わせ左胸におき共に鼓動を確認すると頷き、
とても安心した表情を見せられました。
「何も心配いらないよ。最期までずっと私達がついている。私達がきちんとやります」
そう伝えると手を合わせ、目を閉じられました。
2月10日
Aさん永眠
居室で職員さん、他入居者様とお別れをしました。
Oさんも涙を流し、お見送りをしてくださいました。
そして本日、
Aさんの旅支度をおこない火葬、そして収骨を致しました。
水車の里で最期を迎えられたAさんの本当の気持ちは分かりませんが ・・・
私はいつも看取りをさせて頂いたあと、
「これでよかったのかな・・」 「もっと何か出来たのではないか」
と自問自答を繰り返してしまいます。
それでもAさんと出会い、共に過ごせたことを心から嬉しく思います。
心よりご冥福をお祈りいたします。